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2014/04/24

【反転授業】古墳文化の変遷にみるヤマト政権の支配構造変化

Tweet ThisSend to Facebook | by:Web管理

「21世紀型スキルを身につける、家庭は“知識理解”授業は“知識探究”その名も反転授業!」


今回は「古墳文化の変遷にみるヤマト政権の支配構造の変化」を学習していきます。
古墳文化は4期に分けることができ、ヤマト政権の性質の変化と呼応して古墳の形態が変化していきす。前期・中期・後期・終末期の古墳がそれぞれどのような特色を持ったのかでしょうか!?動画を見て確かめましょう!!




~板書編~
【前期・中期】


3世紀中頃~4世紀後半の古墳時代の前期、大規模な前方後円墳が出現します。代表例は箸墓古墳。これらの古墳は画一的な形態をとっていたので、政治連合が作られていたことが分かります。箸墓古墳が奈良県の大和にあったので、大和を中心とする政治連合、すなわちヤマト政権が作られたことが分かるのです!


そして中期。これは4世紀後半~5世紀末、倭の五王の時代です。この時期、前方後円墳が巨大化・全国化します。代表例は大仙陵古墳。前方後円墳が全国化したことからは、「ヤマト政権の支配領域が拡大したこと」と、「地方が前方後円墳をつくることができるくらい政権内部で重要な役割を担っていたこと」が分かります。



【後期・終末期】


6世紀の後期になると、地方で大きな古墳が見られなくなり、群集墳などの小型古墳が増加します。このことからは地方豪族がヤマト政権に従属し、新興有力農民層がヤマト政権の内部に組み込まれていったことが分かります。


最後に7世紀の終末期。前方後円墳の造営は停止・大王墓の八角墳化・各地の有力首長の古墳造営停止の3つの現象が見られます。これらは古い首長連合体制から脱却し、中央集権的な律令国家を形成する動きに呼応したものだと考えられています。



 


13:08 | 投票する | 投票数(1) | コメント(0) | 反転授業

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