各種証明書の発行について
 
 
 



〒327-0192栃木県佐野市石塚町2555
℡:0283-25-0111/Fax:0283-25-0441
 
 

広報わかざくら №52

  
 
 

大学資料請求はこちら

大学資料請求はこちら
 
■外部リンク集

10月4日は 日本大学創立記念日!

▼海外姉妹・協力提携校HP

ストラットフォードガールズグラマーS(イギリス)

セント・スティーブンスCC(オーストラリア)

セコラ・スリUCSI(マレーシア)

北京月壇中学校(中華人民共和国)

キング エドワード 6世 スクール(イギリス)



JBKジュニア防災検定
 
訪問者数14263097
Since 2010/04/01

ログイン

検索

日誌

社会科通信 >> 記事詳細

2014/05/21

【世界史ランチョンセミナー】第6話「日本の国家建設」

Tweet ThisSend to Facebook | by:Web管理

今日も今日とてランチョンセミナー!明日からイギリス引率でいませんので、しばらく更新できません。

日本と清王朝の争いは東アジアが主権国家体制をとるか冊封体制とるかのヘゲモニー争いであった。清王朝は国家体制を変えず、あくまでも伝統思想の上に表面的な西洋技術を取り入れようとしたので失敗に終わった。では日本はどうであったのだろうか?





内政面で需要なのが1889年の大日本帝国憲法である。これより日本が完全に主権国家体制にプレイヤーとして組み込まれた。主権国家体制は明確な領域を持ち、その領域内の国民を統治するものである。ここで東アジアの冊封体制と明確な違いが現れる。その具体的な事件が台湾出兵である。清朝にとって明確な領域は存在しないので、皇帝の徳が及ばない地域は「化外の民」と扱うことができる、しかし主権国家においては領域内の国民は国家に統合されるので、「化外の民」とみなしてしまうと、清王朝は台湾を支配下に入れていないことになるのである。こうして「漂流民保護」を取らなかったことが国家体制に関わってくるのである。



20:53 | 投票する | 投票数(2) | コメント(0)

トップページへ

本校では在校生、保護者、教職員、関係者の人権と学校生活の保護のため、サイト上の掲載物に関して、在校生、保護者、教職員、
関係者の人権、名誉を傷つけたり、画像・映像の複製を無断で使用した場合には法的措置をとらせていただくことがあります。